ブランドヒストリー
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パラディウム PALLADIUM
生誕
1920年フランスで航空機のタイヤを製造する会社として創業。
パラディウムのタイヤ製造の専門技術は先進的で、ヨーロッパの主たる航空機が、
パラディウムのタイヤを使用していた。
第2次世界大戦後
フランス軍よりタフなブーツを作るようリクエストを受け、
パラディウムはタイヤの耐久性を用いたフットウェア―を製造すべくフランスのポンドシエリュイに工場をつくる。
代表作 パンパブーツの誕生
1947年 パンパブーツ の完成
パラディウムは空挺隊員の行軍を考えてパンパブーツを設計
1949年 パラブロウズ の完成
パラディウムブーツは快適性と耐久性を兼ね備え、世界で最も伝説的なフランス外国人部隊が着用し歴史の1ページを築き上げました。
兵士であるということは、世界で最も過酷な環境のなかにいるということです。
パラディウムシューズは世界各地でフランスの外国人部隊とともにありました。
外人部隊は機能・耐久性を試すべく北アフリカの砂漠地帯からアトラス山脈に至るまで、あらゆる環境でパラディウムブーツを試しました。
パラディウムシューズが選ばれたのは、耐久性に優れていながら、軽量性をかね、さらにキャンバス素材の速乾性に優れていたブーツであったからでした。
パラディウムは基本的な耐久性というニーズに時代を超えて受け継がれてきました。
自由の象徴
1968年 フランスで起きた5月革命
パリの大学地区では自由への望みや反戦への怒りでストライキやデモ、学生と警官との衝突が起きていました。
パラディウムスニーカーは多くの若者が履き、若者の足元でそのスピードをはっきしました。
若い革命家たちは
パリの街を歩き回りデモを起こしました。
自由を求めた彼らの足元を支えたパラディウムスニーカーは自由の象徴となり、フランスの若い世代のお気に入りの一足となりました。
戦場からスポーツへ
パラディウムは1970年代に戦場からスポーツの世界へ移りました。
特にテニスコートとバスケットボールを中心にニューモデルを開発し、アスリートをサポートしました。
フランスのバスケットボール界のレジェンド、アラン・ジレは当時のパラディウムの顔となりました。
パラディウムは当時軽量のスポーツシューズを開発していました。
そのシューズはバスケットボール界でも革新的で
選手のドリブル、シュート、ダッシュにすべてのプレーで勝利の立役者となりました。
アメリカでの発展
パラディウムは1980年代にアメリカに上陸しました。
マドンナの人気が上昇したころと時を同じくパラディウムブーツは前衛派の間でヒットし、ブラックカラーの「パンパハイ」はゲイコミュニティの衣装とマッチし、彼らの象徴てきなものとなりました。
また、この時期にニューヨークでサブカルチャーが大きな成長を遂げ、彼らは自由を追求しました。
言論の自由、創造する自由、愛する自由、そして自己を表現する衣装としてパラディウムのブラックスニーカーが着用されました。
資料提供 : 株式会社エスエスケイ
続く
現在では様々な商品がラインナップされています。
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